歴史的類比の思想

新装版第1刷(実質初版第4刷)、2006年9月5日発行、2700円、勁草書房
初版第1刷は1976年6月

 活版印刷での増刷ができなくなりましたので、写真版にしてオフセット印刷に変ります。 従って、単なる増刷よりも多少定価が高くなります。 悪しからず。 それでもオンデマンドよりはだいぶましでしょうか。 内容は、写真版ですから、 まったく同じです。

 内容はドイツで1972年から1974年に大学の教師をしていた期間の前と後に書いたもの、すなわちザイール(現在のコンゴ民主共和国)で大学の教師をしていた当時(1975年)に書いた文章が二つと、ドイツに発つ前に日本で半ば失業状態だった時に(1971年)書いた文章が二つです。

 はじめに置いた二つの文(1975年のもの)は、自分自身が植民地支配の後遺症(というよりも、まだ生々しい現実)に生きるアフリカ社会で生活して、植民地支配とはどういうものか、いわば生身に感じて知った時に、ようやく、ローマ帝国支配下に生きたイエスや初期キリスト教の世界が現実のものとして見えてきた、その思いを綴ったものです。後に日本に帰国後、『イエスという男』を書き、『書物としての新約聖書』の第2章の言語の問題を書くにいたった、いわば自分の根元的体験の一部を文章化したものです。
  1.原始キリスト教とアフリカ ― 帝国主義の宗教思想
  2.ウィリヤム ― 宗教的世界世論の本質

 後に置いた二つ(1971年)は、書いたのはそれより前で、まだ日本に居るうちに文章化してあったものを、更に大幅に補い、書き直したものです。マクス・ウェーバーについての文章は、戦後の日本で大塚久雄という人の巨大な影響力(学界ボスの奇妙な支配力)に領導されて日本でウェーバーというつまらぬ右翼的な思想家が進歩主義の思想家であるかの如く勘違いされて、やたらと流行していた、その流行に終止符を打とうとしたもので、今読んでも、十分に読むに耐える文章になっているかと思います。

 なお、この文章のもとになったのは、1971年の10月に名古屋学院大学図書館主催の講演会で話した講演です。その当時は半ば失業状態で、従って栄養状態が悪く、すぐに風邪を引いて高熱を出したりしていましたが、この講演の時も前日は風邪でまだ40度の高熱があって、朦朧としながら話の準備をしていたのを思い出します。

 最後のものは、批評の対象となっている相手が愚劣であるに応じて、中身のない文章です。恐縮。吉本隆明の愚劣さについては、別の本で徹底的に明らかにしておきましたので、そちらをお読み下さいますように。
  3.ウェーバーと現代 ― 日本ウェーバー学者の問題意識
  4.『マチウ書試論』論 ― 現実と観念の接点

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