新約聖書概論(仮題)  
  『訳と註』 完成後に仕上げます

 『書物としての新約聖書』の続編。というよりも、『書物としての……』は新約聖書概論のうちの序論の部分。次に書くのが本論。
 まあ、 要するに、 新約聖書の諸文書とはこういうものです、 ということ。
 しかし、 書いていて思うのですが、 新約聖書が事実としてどういうものであるのか、これまでのところ、 日本語の読者にはほとんどまともに伝えられていない、 というのが実情でしょう。 これだけは何とかしないといけない。 大変な仕事ですが。
 実は、私の元々の目的はこの本を書くことだったのですが、新約の諸文書の本文そのものが正確な、かつ必要十分な註をともなった仕方の日本語訳で読者に提供されていない以上、本文そのものも正確には知られていない文書について 「概論」 だけ書いても意味はない、と気がついたので、それで 『新約聖書 ・ 訳と註』 を先に発行することにいたしました。ところが、そちらの仕事で 13年もかかってしまい、今や 82歳にもなって、今から本来の目的であった 『概論』 を書く気力、体力が自分に残されているのか、あまり自信はないのですが、何とか、自らを励ましつつ、完成に向って努力してみたいと思います。

出版予定
  というわけで、発行予定と言っても、本当に完成するかどうかもわからないものを、いついつまでに発行します、と約束するわけにもまいりません。
  とりあえずは、自分としては精一杯努力します、としか申し上げようがありません。 お許し下さい。
  書くとしたら、2巻本にする予定です。

内容
  新約聖書の各文書の実際。
   誰が、いつ、どういう目的で書いたか。どういう特色があるか。
   つまり、各文書の外面的な説明です。
   ふつう狭義の「概論」として扱われる内容のものです。

  『書物としての……』 が、いわば、これらの各文書の実際を無視して、後にどのようにして 「新約聖書」 という 「書物」 になったか、ということを扱ったとすれば、こちらは、ではこれらの文書は本当はどういうものであったか、ということです。
 従って、『事実としての新約聖書』とでも表題をつけようかと思っております。
 ともかく、新約聖書の一つ一つの文書の実際について、日本語の読者には、正確な知識があまり伝わっていませんから、何とかこの著作も仕上げないといけない、という自覚だけは持っておりますが……。

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